世界には二つの流れがあるという。
欧米個人主義とアジア大家族制度 とも比較される。
アジアでは例えば中国華僑の方々の世界での発展には、やはり血のつながり、家族の意識は高いという。
欧州は個人主義の象徴でああるけれど、意外にも、イタリア 特に南部は、ファミリーという言葉に表されるように家族を大切にし、地域で親族が固まっている。
欧州に出張したとき、欧州ではよく泊まったホテルで日曜夜のパーテイを見かけた。華やかな社交界だ。ただ向こうでの感覚は、華やかというより、付き合いを広める楽しさ、生活として存在する。夜中の12時に夫婦で来ていて騒いでいる。子供たちはどうしているのだろうか? 駐在の方に聞いてみると夜21時以降子供は早く寝なければいけない、そののち夫婦で出かけるそうだ。徹底している。文化が長年染みついている。子供たちは社会に巣立つと、家を離れ個人で生活する。お互い干渉しない。
欧州は、その個人主義の形態の延長で結婚という形式が変化している。結婚しない、同棲するという形態だ。1990年代にドイツ出張した時も、出張の最後にお礼に夜会食を申し出ると、喜んで受けていただけた。会社の会食はドイツでは夫婦で普通に違和感なく参加する。私が遭遇した場面には、彼女と二人で参加してくれました。彼女とは一緒に生活しているという。いろいろな形態があります。
こういった、形態は永続的なのだろうか?
日本でも、いろいろな形態があり、大家族主義では沖縄が面白い。島が狭く、気候が良く暮らしやすいせいもあるのだろう。兄弟が多く、普通に大家族で暮らしているそうだ。そのため生活費も安い。一人食い扶持が増えても、あまり変わらないからだそうだ、そのためかどうか、のんびりしていて、就職も、労働もあくせくしない、おおらかとのこと。
永続可能な形態は、どちらなのだろうか? あるいは一意には、決まらないのだろう。
個人主義の永続的な姿、はどのような形だろうか?
アメリカも個人主義といわれる。医療保険制度も年金制度もない。リタイヤ後の生活保障は各自の責任でリタイヤ前に各自準備しておくべき、準備できなくて悲惨な生活になろうとも、それはあなたの責任で仕方がない、という徹底した自由主義だ。ある意味怖い、社会はそんな甘くしていては生活できないという西部開拓時代からの考えだ。
景気の悪い時代が続くと、厳しい。米国は2003年あたりから、アジアの影響を受けて景気が後退したといわれる、自動車メーカー最大だったGM破綻が例だ。実は増え続けるOBへの企業年金が重荷だったといわれる。年金も会社も実質消えた。その頃から、もうすぐ20年を迎える。米国もOBも20年年を取っていくわけだが、どのようになっていくのか、とてもとても気になる。個人主義の永続可能な時代への先例、見本として頑張ってほしい。注目して見ていようと思う。
よくよく考えると、欧州はある意味最近まで、貴族階級社会であったり、植民地政策が経済成立の基盤であったりした。 アメリカは建国200年であったり、奴隷制度も経済成立の基盤であったりした。 日本も江戸時代の士農工商は階級制度であり、そこから明治時代になってまだ150年しかたっていない、また経済的には社会が不成立であって、そのためその後三つの戦争を経て、70年しかたっていない。つまり言いたいのは、永続可能な社会の姿は、実はまだどこにも長い時代の実績はないのだ。 数百年安定に永続する社会の形は何なのか、夢なのか、夢を見ることは大切と思う。
2018年2月18日 鈴村延保