永続的可能な世界を夢見て おてんとうさま

おてんとうさまは、太陽のちょっと信仰的なよびかたです。

天道から来ています。

太陽は明るく照らすだけでなく、熱も地球に降り注ぎます。

そのおかげで生物がうまれ、世代交代をくりかえし、進化しながら何十億年と、ある意味永続的に存在しています。

歴史を見返すと、天候不順によって,飢饉が時々起きています。そういったときに、いつも降り注いでいた太陽の存在をありがたいと意識し、おてんとうさまのおかげ、と感謝する文化ができました。

天にある、おてんとうさまは、何があろうといつも降り注いでくれる。

なにもお返しをもらおうと思っているわけではない。それで永続的な世界があるわけだから、こういったはたらきは、永続的な世界のためには大切で基本的な、行動であろうと考え、宗教や信仰心ができ、善意とか寄付とか、なにもおかえしをもらおうと思っているわけでは無い行動の考えができてきました。

輪廻転生の考えでは、来世後利益のために、功徳をなす、という言葉もあり、一見利益のために行動しているように感じる表現もあります。

宗教では、神ではない不完全な人間が、成長していくのだから、初めはそう考えてもいいんだよ、と優しく説いています。

一日一善とか、始めることが大切のようです。

世界中のすべての人に対し、善意を行うのは、神のような理想なのでしょう。

それは現実無理です。人が活動で関係する範囲での人の間で、そういった行動や影響が交じ合わされるのが実際です。

活動範囲が当然限られますので出会う人は無限ではなく当然有限です。

そこで、出会う人の間で、おてんとうさまの行動を見本にしてお互い助け合う、善意で暮らす、などの考えができ、それらの出会う人を”縁”という表現を使うようになりました。

おてんとうさま の考えが、”縁” という考えを生み出した気がします。

わしはこの縁ということばが、しっくりきます。

これらは仏教的、神道的にもみえますが、世界を見渡してみても、表現は違いますが、同様です。

すべてできるわけでは無い、何でもできるわけでは無い、実際の世の中で、縁で出会った人を大切にし、助け合う、ということは、まず初めに出来そうな気がします。

不完全な人間が成長していくなかで、矛盾もまだまだある完成していない世界から、どう永続的な世界をつくっていくかの、長い歴史の経験法則であると感じます。

 

2018年1月18日 鈴村延保

 

 

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