SF 人間の歴史

私は空想科学小説SFの世界が好きです。

ここでは、私が考えただけの空想SFでなく、いろんな方が感じられた考えや、空想や創造、仮説を提案されている方々の提供する情報を、私なりに考え創作し、網羅的に繋いで、歴史として興味ある姿を ”SF人間の歴史” として描いてみました。同時にすこし考える機会を作り出してみました。

基本は、紀元前5000年、つまり今から7000年前メソポタミアで起きた世界最古といわれるシュメール文明の人が描いた、ギルガメッシュ叙事詩の世界が一つです。この文明は、遺跡や、粘土板にくさび文字で書かれた膨大な遺物が残っています。最近コンピユータの進化で解読が日々進んでいます。その残存する叙事詩に語られている人間の歴史物語が骨子と、もう一つは、

太平洋のど真ん中にあったといわれるムー大陸伝説です。チャーチワードが、各地に残る伝説を紐解いて大胆な仮説を提案しました。最後に人々の争いで大洪水で一夜にして沈んだといわれますが、聖書のアダムとイブの洪水伝説につながっているという仮説もあります。最近 ムー大陸は太平洋の真ん中ではなく、タイ、ヴェトナムの東沿岸に、かつては陸地沿いに広がったった地域 スンダ大陸と呼ばれる場所があり、事実として12000年前に急激な温暖化で数週間で200メートル以上に及ぶ急激な海面上昇がありました、それによって沈没した地域があり、それを語っている、という説が出てきました。その時期より前 日本は朝鮮半島や樺太とつながっていましたが、その大変動で島となりました。ムー大陸が東南アジアにあったというのは、あり得ます。とてもユニークで、あり得るなとも考えたので、採用し繋げています。

あともうひとつは、このwebにもちなんだ、アカシックレコードの考え方と世界観を織り込んでいます。

前章 宇宙

宇宙は無数に存在する。それらは関係して存在している。その宇宙の何十億年の流れのなかで、ほんの最近の物語です。

1章

20万年前、アヌンナキと呼ばれる宇宙人が地球に着陸した。金鉱脈を探して宇宙を彷徨い、やっと地球を見つけた。

彼らの星は、文明が栄えていたが、その結果汚染により大気が悪化していた。浄化に大量の金が必要だった。彼ら宇宙人は現在の地球人よりはるかに進歩し、神には近づいていたが、それでも大気汚染に悩んでいたり、争いもしていた。冗談も言い合っていた。不平不満や笑いもあった。神の概念もあった。

なんと人間っぽいことだろうか。

当時の地球は現在より寒冷化時期で、赤道周辺が、生物の生息に適した気候だった。人類の祖先ホモサピエンスやネアンデルタール人が細々と生息していた。アヌンナキによる金の採掘が、金や鉱物の豊富なアフリカで始まった。しかし大変な労力だった。あるとき、その頃地球にいたホモサピエンスを進化させて仕事を分担させれないかと考えたアヌンナキがあらわれた。賛否はあったが試してみることとなった。プロジェクトが組まれ、失敗を繰り返し、なんとか成功した。試したのは自分たちの遺伝子をホモサピエンスに組み込み合成することだ。黒人が最初だった。改良が繰り返され、だんだん普通の生活ができるようになり、軽い文明が芽生え、アヌンナキと人間の共生がはじまった。アヌンナキとの交配も可能になっていったが制限されていた。アヌンナキは、金の採掘を手伝ってもらうための、当初は奴隷(共存の意味の奴隷であって表現が難しい)としての目的から始まったが、軽い文明が出来上がってくると、見守り応援するようにもなった。アヌンナキは争いもしていたが、そこからどうしたら成長していけるのか、今の人間と同様に考え、悩み、試行錯誤していた。だからホモサピエンスの進歩を見ていこうという意見があった。

暫くして、金の採掘が不要になり、徐々にアヌンナキは地球を引き上げていった。大量の金が取れなくなり、ほかの惑星を探しに行ったのかもしれない。たまに、見守るように地球を訪れていた。

気候変動もあり、ホモサピエンスは徐々にアフリカから、各地に広がっていった。しかしアヌンナキの支援の無いなかでは原始生活であり、急激な発展や文化の形成はなかった。

9万年前 別の宇宙人アナトが地球を訪れた。彼らはアヌンナキと交流があり、ホモサピエンスの文明を見守っていたが、ホモサピエンスを、より自分たちに近づけようと考えた。再度ホモサピエンスの進化の取り組みがされた。そのなかで黒人だけでなく、白人、黄色人などが交配の組み合わせで誕生していった。自分たちに、より似た形に進化し、喜び、見守っていた。ネアンデルタール人はウィルスの影響もあり衰退していった。

2章

3万年前、ホモサピエンスが、外形は現在の人間に近く進化してきた。宇宙人アナトは喜んで見守っていた。ホモサピエンスは生きるためか、お互いの争いも多かったが、アナト達は少し支援する程度にとどめ、干渉することは控えていた。もうすこし和を重んじる人種があってもよいのではないかと考え、一部改良を加えた人種も派生させた。

このころ、さらに高度な宇宙人アスペルガスも関心をもって地球を訪れるようになっていた。彼らは、物理構造が少し異なっており、宇宙の航行方法も異なっていたため、遠くから訪問していた。3次元の物理構造より上位の波動構造を持っていたため、地球人からは見えない。彼らは波動を意識をもって変動させ、下げることで、地球人から見えるようになり、交流ができた。かなり自在に宇宙を遠くまで行き来できているらしい。不思議なことに、彼らも争いという概念があった。しかし人懐っこいなど、とか、支援をする、喜びを共に分かち合うなど、大変な善人であった。したがって当然かれらもホモサピエンス人間を応援してくれた。

高度に発展進化した善人世界なのに、なぜ争いが亡くならないのだろう?

彼らの先祖の話として、こう伝わっているという。大昔彼らの世界は、まるで天国をイメージする世界であった。争いもなく、笑いが絶えず、なにも矛盾を感じない世界であった。それでも、すべてを与えてくれる神の概念は存在し、敬い感謝していた。ある時、なにかその世界にひずみが起き、不思議な現象がなだれ込んできた。憎しみ、ねたみ、怒りを持った人たちズードットがどこからかやってきた。

宇宙人アスペルガスには、何が起きているのか判断できなかった。また争いやねたみの意味もわからなかった。しかし守るための行動は争いとならざるを得ず、大きな戦争となっていった。争いは1億年続き、ようやく善悪の概念がやっと理解できて来たそうだ。つまり、すべてが善の世界では、悪の概念がなく、悪の世界では善の概念がない、見えないため理解ができないという。地球のポジションは、波動的に低レベルであるため、純粋ではなく善悪が混在しているという。どれが善でどれが悪かは判断できないが、そういう事実を体感できる。

宇宙人アスペルガスは、やっと善悪の概念や存在に気づき、もっと学ばなければいけないと考えた。そのため善悪の概念をより理解するためには地球のような低レベル波動の世界に飛び込み、学んで上位波動の段階の世界を、より完全なものとしていくことで、神に近づきたいと考えていた。そして彼らは、進化したホモサピエンス人間が活かせると考えていた。そして地球にやってきた。

そこでアスペルガスは、ホモサピエンスの遺伝的改造では、高次概念を織り込んだ。アスペルガス人の化身が精霊のようにホモサピエンスの肉体に重畳して命となり、活動し、上位世界ではなかなか経験できない、低位の概念を実感してくというものだった。もっと言えば、純粋な善の世界では、悪に関する概念を実感し習得することは無理であったり、時間がかかる。善悪、玉石混交の次元の地球の場や、ほかの世界や、ほかの天体での3次元構造な肉体で経験を積むことで、善をさらに善とする昇華活動を拡大していくプログラムだ。

このプログラムには、アスペルガスの複数で有限の人が希望し、取り組むこととなった。経験を速めるため、分身あるいは分霊というイメージで一人のアスペルガス人の魂が段階的に多く分かれて人間に宿り、死して魂が分霊分魂から一つに戻り、経験を総合し糧として、次に進む。それを繰り返すという。

このプログラムは26000年前から始まった。

神とは、より上位の宇宙人であり、あるいはアスペルガス人のように波動構造が違えば、宇宙の存在というような表現になる。より上位の存在は、下位の存在から見れば神であり、これは永遠に続く。どこまでその階層が続くかは下位からはわからない。より上位の神は、宇宙の絶対的善あるいは宇宙の絶対的真実であるが、その法則あるいは意思は下位からみると、やはりわからない。例えばある時アスペルガス人の世界にひずみが生じ、悪の概念が流れ込んだ。これが何を意味あるいは意図するのかは上位の神のみの知る意思あるいは法則である。

このプログラムは、広く周辺宇宙からどのような結果になるのか、関心を持たれており、見守られている。見守るというのは、干渉せず人間が失敗しても経験していくことを忍耐をもってみまもること、と言えそうだ。これは善、悪両方の側から見守られている。

前にも言ったが、不思議とアスペルガス人の神のレベルでさえ、基本は純粋に近い善であるのに、行動様式は、多様的で、また(不遜ないいかたを許してもらえるとすると)ある意味人間的だといえる。人間の見守り方、支援の仕方もそれぞれで色がある。

神の啓示、であったり、人の姿になって現れて導いてくれるなどがあれば、また蛇、竜が示唆や啓示をする、またそれらは見守る神、導く神などが多様に歴史、伝説や宗教書に現れる。

26000年前 アスペルガス人の分霊と一体となって進化し始めたホモサピエンスは、成長を速め文明を築き始めていった。

人間はアスペルガス人ともいえるし、その前段階の人類ともいえる。

それはある意味新しい世界へ、後ろを振り返らず飛び出す、冒険ともいえた。

我々は今、成長のための冒険をしている。

創成 完

以下 いつか続く

SFではありますが、少し人生について考えてみました。このSFが、なにかの参考になれば幸いです。

鈴村延保 平成30年2月1日

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