愛知の古代史を繋いでみる

私の住む東海地方の愛知県は、大和のあった関西奈良、京都から近い。関西古代文化圏をもっと拡大すると、琵琶湖のある滋賀県も圏内に入る。愛知は伊吹、養老、関ケ原を介して隣同士だ。調べれば調べるほど古代文化でつながりが深い。

愛知県は尾張地方と三河地方に分かれる。尾張は西部に海部郡も含み、尾張(小治)、海部は丹波の海部系統図につながる名残が残る。そこに由来する人々が移住して地名を残した。

三河は古事記で三川と地名が現れる。三河には賀茂郡があり、これは加茂氏が移住してきて名を残したと考えられる。加茂は鴨であり、鴨氏は出雲から紀元前に大和へ移住してきた人々と出雲口伝に残る。京都上鴨神社、下鴨神社はそれらの氏族が建立したと伝えられる。三河の豊田市はかつて拳母市であったが、由来は三川の衣と古事記に地名が残る。養蚕が古代古事記以前から盛んだったと推測される。現在も加茂蚕糸という会社が残る。衣と養蚕技術は古代中国大陸では門外不出の重要機密だった。倭の古代でも同様だったと思われる。その養蚕が古代から盛んだった三河賀茂郡は貴族の存在を予想させる。豊田市には矢作川東部市街地に旧西加茂郡高橋村に賀茂川が流れ、能見山が鎮座する。その地は能見町に在る。能見は古事記に依ると相撲を平和の取り組みに採用した出雲出身の能見宿祢の由来と伝わる。出雲口伝では少し異なっていて能見は富の漢字あて間違いと伝えられている。出雲の富氏は豪族(出雲皇族)であり、鳥見山、野見山などが由来で各地に存在する。出雲富氏は東の朝日を拝礼する宗教風習を持ち、その礼拝の山は鳥見山、野見山と名づけられ残っている。

西加茂郡高橋村には希少な三角縁神獣鏡が出土した百々町があり、賀茂川、野見山に近い。

三角縁神獣鏡

 

日本には神宮と呼ばれる神社が限られている。

『日本書紀』では、伊勢神宮・石上神宮・出雲大神宮(出雲大社を指す)のみが「神宮」と記載されていた。その後、平安時代に成立した『延喜式神名帳』では、大神宮(伊勢神宮内宮)・鹿島神宮・香取神宮が「神宮」と表記されている。愛知には熱田神宮がある。

伏見稲荷は京都が有名だが、愛知 豊川に伏見稲荷総本家がある。どうも愛知は古代の歴史形成に早くから関係していたようだ。